『論理的思考とは何か (岩波新書)』
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(著) 渡邉雅子
出版社 :岩波書店(2024/10/18) ISBN:B0DK4BVN2W
論理的思考法は世界共通ではない.思考する目的をまず明確にしてその目的に合った思考法を選ぶ技術が要る.論理学・レトリック・科学・哲学の推論の型とその目的を押さえ,価値に紐付けられた四つの思考法(経済・政治・法技術・社会)を使い分ける,多元的思考を説く.不確実なこの世界で主体的に考えるための一冊.
要約のトピック出し
本書は、論理的思考についての本である。
論理的思考を新たな視点で捉えることを促す。
論理学の「形式論理」と、文化的側面がある「本質論理」を区別している。
後者を対象としている
そんな風に区別して、精緻な見方を向上させることが目的ではない
他者の思考を非論理的だと感じるそのメカニズムを分析している
それがわかれば、安易にバカにして退けることが経るだろう
その意味で、これは他者論(あるいは論理ではなく、倫理)でもある
相手に納得してもらう上で、さまざまな論理的思考を使うこと(多元的思考)も提唱されている
これはビジネス的・実用的側面
章立ての確認
序章 西洋の思考のパターン──四つの論理
第一章 論理的思考の文化側面
第二章 「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範
第三章 なぜ他者の思考を非論理的だと感じるのか
終章 多元的思考──価値を選び取り豊かに生きる思考法
確認ポイント
まず全体を通して著者が何をしようとしているのかを確認する
次に、その全体を意識して、章立てを眺める
「まず、基礎となる部分を確認しているのだな」
「ここは文化的な要素を確認しているのだな」
といった感じ。
おそらく著者がわかってもらいたいことは
それぞれの文化的背景によって教育の形が決定され、その教育を受けた人達はそれぞれに「わかりやすさ」を形成していくのだ、という文化人類学・社会学的な眼差し
そういえば著者の専門はなんだったかな
知識社会学、比較教育、比較文化
まさにそういう関心のフィールドの話がテーマ
そうした眼差しから展開される、あるいは付随する要素はいくつもある(特に実用的側面はたくさんある)が、まずはそれぞれに異なる文化を背景に人は思考を育んでいるんだ、という理解こそが著者が持ってもらいたい点だろう。
概要(わりと短めパターン、倉下の文体は極力抑える形で)
本書は、論理的な思考に新たな視点を与える一冊である。通常「論理的」というと文化に寄らない普遍的な、言い換えれば世界共通の理(ことわり)だと思われているが、それは論理学における論理であり、論理学を育んできた西洋の成分が多く含まれていることは見逃してはいけない。(書いたけどいらない)
本書は、論理的な思考に新たな視点を与える一冊である。通常「論理的」というと文化に寄らない普遍的なものだと思われているが、著者はそうした論理学の論理を「形式論理」と位置づけ、それとは異なる文化的影響を多分にうける「本質論理」を提唱し、それを分析する。そうした分析を通じて得られるのは、文化によって育まれる「わかりやすさ」(整合していると感じられる)は文化ごとに大きく異なっているという点だ。その視点を持てば、他者をバカなやつとして見下し、はじめからコミュニケーションを諦めるのではなく、どのような論理がその文化で働いているのかという知的好奇心を持つことができるだろう。(これは感想)
本書は、論理的な思考に新たな視点を与える一冊である。通常「論理的」というと文化に寄らない普遍的なものだと思われているが、著者はそうした論理学の論理を「形式論理」と位置づけ、それとは異なる文化的影響を多分にうける「本質論理」を提唱し、それを分析する。本書では、アメリカ(経済)、フランス(政治)、イラン(法技術)、日本(社会)の四つの領域が取り上げられ、それぞれが持つ論理が分析される。私たちはそうした文化的な論理の違いによって、相手の思考を非論理的だと非難してしまうわけだが、背景の違いを知ることで単に納得できるだけでなく、適切なコミュニケーションや説得が可能になるだろう。("分析"が二回出ているのが気にくわない)
本書は、論理的な思考の捉え方に新たな視点を与える一冊である。通常「論理的」というと文化に寄らない普遍的なものだと思われているが、著者はそうした論理学的な論理を「形式論理」とし、それとは異なる「本質論理」を文化的影響を受けるものとして位置づける。その上で、アメリカ(経済)、フランス(政治)、イラン(法技術)、日本(社会)の四つの領域とそれぞれが持つ論理が分析されている。どのような形の論理があり、それがどのように文化的に育まれているかが確認される。私たちはそうした文化的な論理の違いによって、相手の思考を非論理的だと非難してしまうわけだが、背景の違いを知ることで単に納得できるだけでなく、適切なコミュニケーションや説得が可能になりうる。
#書籍名